Elizabeth F. Loftus

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抑圧された記憶に関する神話: 性的虐待の偽りの記憶と主張 (意訳)

LinkIconThe myth of repressed memory:false memories and allegation of sexual abuse
エリザベス・ロフタス
キャサリン・ケッチャム共著(1994年)

ロフタスは認知心理学者で、抑圧された記憶の概念に対する批判、虚偽記憶の生成について20余年に渡って研究している。
「誤解される恐れのある情報による記憶の歪曲」「人間の知覚に関する情報処理の概念形成」「後に与えられる情報によって誘導される記憶の変容」などのリサーチ、記述をしている。

抑圧された記憶とは無意識下に封印された記憶、もしくはそのような記憶が存在するという仮説のことを言う。

抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって
E.F.ロフタス K.ケッチャム
誠信書房
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以下、上記書籍に関するカレン・アルバートのレポートより抜粋:

この本は、性的虐待やフェミニズムに関してではなく、記憶に関するものである。
長年忘れられていたのに、セラピーによって回復された幼少期の性的虐待に関する記憶。
著者は、クライアントとセラピスト、告発する者とされる者、狂信者と懐疑者のそれぞれの真実を説明しようと試みている。
ロフタスは、ある事象を心に刻み付ける時には、焦点の選択が行われ、創造的な関連性を創り出し、結果「事実」をゆがめることになるということを読者に認識させる。個人史の記憶に関して焦点を当てたこの論考は、その洞察を歴史の研究にも応用することができるだろう。

「論争」

1980年代後半、それまで20年に渡り人間の記憶に関して研究、教授していたロフタスは、幼少期の性的虐待に関するマス文化の激動に気づく。

数多くの悪意ある手紙や、電話による非難などの中の一つで、カリフォルニア州の女性からの手紙に、このようなものがあった。
「夫が肺がんで8ヶ月に渡る闘病生活の末、亡くなる1週間前に、当時38歳の一番下の娘が、小さい頃父親に犯されたことがあり、わたしが彼女を守らなかったという非難を突きつけてきました。これは私の心をずたずたにしましたが、それは絶対に正しくありません。」
また、メリーランドの女性は「私たちは4年前突然、不可解にも、28歳の娘から性的虐待によって訴えられました。父親が3ヶ月だった娘をレイプし、私も幼少期何度も彼女をレイプし、兄の一人も常習的に彼女を犯していたというのです。それはまるで悪夢で、娘の脳が他人の脳と入れ替わってしまったのではないかという感じでした。」と書いてきました。
テキサスの男性からの手紙には「末の息子が神学校に行って、トレーニングで2週間の集中カウンセリングを受けました。その後まもなく、私と妻が、息子が性的に虐待されているのを許し、さらには私たちも息子を性的に虐待していたと言い出したのです。息子によると、記憶が泡のようにわきあがってきたそうです。」

このような数百ものエピソードは、成人した男性や女性が人生で起こる問題を解決するためにセラピーに行くようになると起こってくる。そして、どの話もセラピーによって「回復された」幼少期の性的虐待に関係しており、その記憶は、セラピーに行くまでは忘れられていたか、存在していなかったものなのだ。このような話は無惨に家族を引き裂くことになる。

それだけでなく、本の中にはこういった話をもとに第一級殺人で起訴されたり、禁固20年の宣告を受けたりされたケースも報告されている。

目撃者の宣誓による証言が、被告の運命を決定する裁判において、ロフタスは、記憶が柔軟性に富んだものであることを教唆する役目を果たしてきた。人間の記憶は、ビデオテープのようにそこで起こったことを録画するようなものではなく、むしろ脚本作家のように、その時の信念や必然性に応じて、焦点を合わせ、選択し、脚色して過去を再構築して書き留めていくと言う。
「そこにはなかった割れたガラスや、つるんとした顔に髭があったこと、直毛の人がパーマをかけていたと思い出させることもできます。偽の記憶を植え付けたり、存在しなかった人との会話や、起こらなかった出来事を思い出させることもできるのです。」

記憶は時がたつとともに徐々に薄れていき、その詳細や正確さも減少していく。
そして、弱まっていく記憶は、その出来事が終了した後に入手する事実、概念、推論、意見などによって左右される。
ロフタスは「心というのはきれいな水が入った水槽だと思ってください。一つの記憶が小さじ一杯の牛乳だとして、それを水の中に混ぜます。成人は、このように濁った数千もの記憶を心に持っているのです。水を牛乳から離すことが誰にできるでしょう?」

強引な売り込みによって左右される記憶は、夢や想像の作用によっても変わることがあり、自分の目や耳による証言を信用することができなくなる。
過去に起こった「出来事」が、後に変形されてしまう記憶によって成り立っていると考えるのは不愉快なことである。

ロフタスは、このような記憶に関する発見を「考え方を変えさせたり、無実の人が刑務所に行くのを防いだり、新しいリサーチを促進したり、白熱した議論を誘発したり、記憶の生成の神秘に対する疑問をかきたてたり、ある一遍の記憶を文字通りの真実だとすることに関して健全な懐疑を促進したりすること」に役立てたいと考えている。

「私は何者であるか?」という問いは、現代の精神療法によって「どうして私はこうなったか?」にすり替えられてきている。
自分が何者であり、どうしてこうなのかは、子供時代に戻り、そこで何があったかを探ることによって見つけることができるとセラピストは言う。
機能不全家庭の神話は、ほとんどの者は不適切で毒のある子育てによって幼少期に深い傷を受けており、それが精神療法の神話の中では呪いとなって機能する。現在の不幸の原因を家庭の機能不全に見いだすことができなければ、より深く無意識を探り抑圧された記憶にアクセスするように言われる。

記憶の「抑圧」という概念は、感情的に心が対応できないほどの出来事に対しての防衛の機能を仮定している。 心は、辛い出来事やそれにまつわる感情を、数ヶ月、数年、数十年後に対応できるようになるまで意識から取り除き抑圧する。
抑圧された記憶の神話を信奉する人たちは、このようにトラウマとなった記憶が意識の外に埋められていても、それと共に葬られた感情は、意識上にしみ出して来て、関係を毒したり自尊心を傷つけたりするので、過去に戻ってその記憶を白日のもとに引きずり出す必要があるのだと主張する。
こういったセラピーはテレビのトークショーやドキュメンタリードラマ、雑誌や書籍などで紹介されることによって評判が広まる。


ロフタスは、17歳から35歳までのそれぞれ違うセラピストに通っていた女性5人に関しての記述によって、回復セラピーが通常どのように行われるかについて説明する。
5人は初めてセラピーに行った時に幼少期に性的な虐待を受けたことがあるか尋ねられた。そのうちの一人は「お父さんから性的虐待を受けたんですよね?」とまで露骨に強く聞かれた。5人の反応は、誰一人として虐待を記憶しておらず、そのような質問にが信じられず、ショックを受けたといったようなものだった。それぞれのセラピストは5人に、思い出せないことには何の意味もなく、虐待に関する記憶の抑圧と乖離の機能について説明された。5人は、虐待された者特有の症状を示していて、家に帰ってからよく思い出すように、と指示された。
後に5人ともが、セラピストの診断に対して、希望にふちどられた安堵感を報告し、全員が現在の悩みや心の痛みの理由を見つけられそうだと考えた。
「自分が過去に虐待されていたのならば、そしてその記憶を取り戻せたら問題は全て解決して、新しいよりよい人生を始めることができる」と。

『生きる勇気と癒す力(The Courage to Heal)』 の中で著者のエレン・バスとローラ・デイビスは、幼少期に虐待された人の多くがその記憶を持たず、それを回復することも少ないと言う。しかし、記憶の有無は関係なく、自分や他人に虐待されたことを証明する必要もなく、大切なのはどう感じているかだと言う。
「もし、あなたが虐待されたと思っていてあなたの人生がその症状を示していたら、虐待されていたのです。」

この本によると幼児期に性的虐待を受けていた人たち特有の症状とは「暗い所で一人でいるのが怖い、悪夢をみる、自分の身体に自信がない、頭痛もち、人と違うと感じる、気が狂っているのではと感じる」などだそうだ。
上記の5人の女性も全員が、これらの「特徴」は 現代社会に生活するほとんどの人にあてはまるにも関わらず、これらのほとんどに自分が当てはまるので、それが虐待のあった証拠だと受け取った。

それにしても、虐待の記憶が出てこない。そこでこの5人はセラピーに全てを捧げ、意思や理論、抑制力を放棄してセラピストに全てを委ねることにした。
「セラピストが私に考えてほしいことを考え、信じてほしいことを信じました。セラピストがなってほしい私になったのです。」

5人は次にセラピストの進める、全ての人が孤独で混乱していて恐れを抱きつつ記憶を取り戻そうとするグループに入会する。「ここにいる全ての女性が同じ記憶を取り戻そうとしているのならば、これは本物に違いないと思いました。」
催眠、夢の分析、身体記憶の再現、メッセージを受け取る、五感への刺激、トランス状態時に浮かぶイメージを使ったシナリオファンタジー、日記の記述、視覚イメージを描いたり、想像した虐待の記憶に関連していると思われる激しい悲しみや怒りの感情を喚起することなどを通して、メンバーは頭に思い浮かんだことを報告するようにと勧められ、セラピストは「それが真実だ、それが本当に起こったことなんだ」と断言する。

「これが真実なの?わたしが勝手につくりあげたんじゃないの?」と聞く女性に対し、セラピストは「疑いは無視して、感情を信用するんだ。否定しちゃいけない。外的な証拠は大抵手に入らないのだから、そんなものはいらないんだ」と保障する。

このセラピーのプログラムでは、十分な記憶を回復し、「より賢く美しく」なった人たちは、罪悪感や自分を責める気持ちを放棄しプライドを取り戻し、自分が癒されただけでなく、世界を癒す力も持つようになると保障される。

抑圧された記憶が回復された人たちには選択肢が与えられる。プライバシーの中でセラピーを続け、悲しみや怒りに決着をつけるか、虐待した人間と対決するか。この決して簡単ではなく、リスクもある虐待者との対決は、しばしば真実を語ることがいかに癒しの力があるか、それによって自分を自由にするために、失った力を取り戻すために、そしてもはや恐れてもいずコントロールされているのでもないことを示すために、二度と犠牲者になることがないと保障するために選択される。

自分の記憶に関して疑問や疑いを持つ女性は「彼らは自己否定から逃れられないから、君の言うことも信じないんだ」と言われ、もし虐待者が虐待の事実を認めなければ自己否定している、何も言わなければ虐待を認めたとされる。幼児虐待があったかどうかの問いに対して「No」という答えはあり得ないのだ。

セッションが進むに従って、現実とイメージの区別がつかなくなり、ぼんやりとしていたイメージがだんだん三次元の形あるものとして識別されるようになってくる。毎日、ひっきりなしにフラッシュバックとして認識される過去の記憶。虐待者はたいてい、父親、母親、兄などから始まり、親戚や近所の人などに広がっていく。レイプや近親相姦の「記憶」が、次第に悪魔崇拝やサド的な拷問、殺人などに発展していくこともある。
ある女性が、近くに住む父親が悪魔を崇拝するカルトのリーダーで、最近自分をレイプしてその赤ん坊を悪魔に捧げると言ったことが、そのセラピーサークルの中では事実として広まったこともある。

『生きる勇気と癒す力(The Courage to Heal)』 の中には、5ページにわたって虐待者から金銭的補償を受けるための法的なアドバイスが記されている。1994年には100万ドル以上の示談金を手に入れた人もいる。
ロフタスが会った5人の女性は、誰も勝利を手に入れなかった。フラッシュバックに悩まされて退職した人、家の外に出るのが怖くなってしまった人。
鬱や怒り、不安や偏執病、自殺傾向などを抑えるために薬を投与されたり入院したりした5人は、友人の介在や別のセラピストによるまともなカウンセリングなどによって悪夢から逃れたものの、数年経った後も完全な回復からは遠く、これらのまちがった分別のないアドバイスや、倫理的でない素人治療によって家族が破壊されてしまったことをとても後悔している。

狂信者(True Believers)*対懐疑派

懐疑派の中には、幼児期の性的虐待回復を専門にするセラピストのことを「妖精が住むネバーランドと神話のモンスター」の世界でセラピーを行う「現代のリサーチから哀れなほど乖離している」「幼稚な精神医学分析」を扱う「超単一化、超拡大解釈をし、近親相姦に関する意見を引き合いにする」罪を犯している人々で、このような熱心すぎる臨床医は、暗示にかかりやすいクライアントに偽の記憶を植え付け、家族を引き裂くと糾弾する。

回復セラピーを重視する狂信者は、自分たちは子供たちを性的略奪者から守り、生き残った者をその険しい回復の過程で助ける闘いの前線にいると主張する。

ロフタスのリサーチは、懐疑派の意見と同調するが、ロフタスは狂信者の懸念にも同情を示している。彼女の科学的研究と社会的な現象の観察は、真実の摘発か詐欺を行うか二極の択一という見地からではなく、事象を理解する方向に導いた。自分が信じる正義の観点に立つことにより、ロフタスは、子供たちの安全を守ることを誓うグループと、科学的メソッドを擁護する同僚の両者の支持のどちらも受けることがなく孤立する。

ロフタスは症例の中で、誤解された恐れのある性的虐待の主張に関して焦点を合わせているが、性的虐待の「記憶」は厳密な意味では真実ではないかもしれないが、心の本質を表現しているとし、それらを「嘘」と言うことは避けている。
虐待の記憶があるという女性は、実際にはレイプされたり拷問されたりしたことはないとしても傷ついたことがある。人生で現実的に起きた出来事は、意識的信念の体系の中では説明できないけれど、彼らが幼少期に感じた「痛み」は、性的虐待や悪魔崇拝者の拷問などの心像によって感情的に腑に落ちる。「記憶」の中のファンタジー的な内容はかなり衝撃的ではあるが、想像した要素を本当の出来事の記憶の中に組み込むことはよくあることで、異常なことではない。感情的な真実を私たちの心の中にファンタジーの形として取り入れたり、感覚データの認知力がその意図や価値観を私たちに理解させるためにその体系によってゆがめることは珍しいことではない。
証拠のルールと判決のとり決めは、このような心のはかなさに対処しつつ、「真実」を追求するために法的で科学的な伝統の中で発展してきた。けれども、そのとり決めは犯罪の有罪判決を決定するに際して「回復された記憶」の導入によって正当性が厳しく疑われている。

臨床精神医学の権威、ジョージ・ガナウェイ教授は、「もし、記憶が本当でなかったとしたら、それはどこからやってくるのでしょうか?どうして患者はそれを信じようとするのでしょうか?」というロフタスの問いに対して、虚偽の記憶は基本的に二つの混交汚染の源があるとしている。「一つは、本、新聞、雑誌の記事、説教や講義、映画、テレビなどの影響。もう一つの大きな汚染源は、患者が特別な関係でいたいと思っている権威者(セラピストなど)の暗示や期待かもしれません。」
患者は、そもそも、自分の問題を専門家に委ねることにした時点でセラピストの承認を求めていて暗示にかかりやすくなっているし、興味深い、平凡ではない特別な存在になろうとしている。これに対して、セラピストは気づかないうちにクライアントに記憶を植え付けてしまうこともある。「セラピーに来る人たちのほとんどが性的虐待を受けたことがある」「記憶は、ビデオレコーダーのように機能している」「葬りさられたトラウマとなった経験を思い出して解決しなければ癒されない」などという信念のもとにセッションを行うセラピストの中には事実とフィクションを混同する者もいる。

「しかし、患者はどうしてそんなに残酷で痛々しい記憶を自分の過去や自己の一部としたいのか?何が自分を犠牲者とし、愛する家族を残酷な人物として描く動因となっているのか?」とロフタスは問う。
ガナウェイ教授は「患者は、幼少期に不満があったり無視されたという経験をしていて、自分が特別ではない、たいしたことがなく、つまらない存在だったと感じている。そこに、声のトーンや、質問、言い回し、その信念を表現することによってセラピストが「記憶」を現実として埋め込んでいき、患者は暗示によってファンタジーの世界に逃げることができる。セラピストが興味を示すような偽記憶の世界では、自分は特別な存在だと思えるからでしょう」と言う。
ガナウェイ教授は、セラピストは常に暗示や期待によって、患者に虐待の偽記憶を植え込むことを避けなければならないと警告する。なぜならば、暗示の種が根付き、「映画の画面のような記憶」が芽を出したら、それは患者の比較的特別ではなかった、ぼんやりとした傷ついた経験を閉め出す恐れがあるからだ。トラウマのファンタジーは徐々に信じ込まされた記憶の中で善悪の区別がはっきりとした形をつくりあげ、患者をセラピストが注目するに値する「特別」な存在にしていくからだ。

ロフタスは、数多くの残酷な行為や不正の中でも、なぜこの特別な(近親相姦と幼児虐待)症候群が世紀末のアメリカ文化を激しくとらえたのか疑問に思う。

自分のセラピーの中で伝説の存在となる

おそらく、近親相姦からの回復セラピーは、現実の人生の中で、神話的アドベンチャーを体験する機会を与えているのではないかということをロフタスの記述はほのめかす。悪い継母や王から呪いをかけられた主人公が、特別な助けのおかげで呪いをかけた人物を見つけ出し、それをうちやぶる。困難は乗り越えられ、勧善懲悪の筋書き通りモンスターは主人公にやっつけられ、救済の宝物が手に入ってめでたしめでたし。

ユング派のセラピーではクライアントに自分の過去を古態型の人物として神話的な物語の中で見つめ直すよう促すが、それは神話的物語の中での感情的な現実と実際の人生で起きた事実とが別個のものであるという認識を保っている。ところが、幼児期の性的虐待にまつわる「抑圧された」記憶を回復するセラピーは、その重大な識別をなくしてしまう。

回復セラピーは、実際の人生でその報酬が受けられる、現実世界でのアドベンチャーという「癒しの旅」の究極バージョンを提供する。インナーチャイルドは子供時代の地獄やその他想像上の古態型(原型)に遭遇する。例えば、機能不全家庭の神話の中では、私たちは家庭内のルールや習慣は「人間の魂を殺す」ということを学ぶ。私たちは選択の自由があると考えているが、神話は、人は受け身で、無意識のコントロールがきかない力によってシナリオ通りに動いているに過ぎないと教える。

しかし、悪が擬人化され純血が必ず堕落させられるメタファーが過剰の世界においても、幸せな結末の希望はある。「癒しと成長の神話」は、私たちはコンプレックスや対立から脱して、より成熟した安定して理解深い愛ある人間にと成長していけると約束するのだ。傷が癒され、壊れた場所は修復され、不純が浄化され、魂が清められる救済は「トータルリコールの神話」によってもたらされる。記憶というのは、全ての行動、表現、感情、行動のニュアンスが心の軟部組織に情報処理される過程で刻み付けられるものだと想像されている。私たちが探し求めるのならば、過去へ戻り、悪魔と対決し失われた純粋さを再生させることによって「真実」を見つけ出し、その過程で治されるのだろうか。


正真正銘の真実とメタファー的な真実

ロフタスは問う。神話は現実にあてはめることができるのか?インナーチャイルドは本当に存在するのか?人間は本当に純粋で無実なのか?機能不全の家庭に対して理想的な家庭は存在するのか?育った家庭での過去が性格や運命を決定するのか?トラウマ的な出来事というのが永続的に消すことができないほど心を蝕むのか?トラウマのトータルリコールが本当に傷を癒すことができるのか?もし、私たちが常に成長しているとしたら私たちは自分自身からかけ離れた、他人が理想とする成熟した、感情的に安定した人間になっていくのか?
「このようなことを問うことは、私たちがセラピーを敵に回したり、幼児期の性的虐待の現実性や恐怖感を疑っているということではありません。」とロフタスは言う。「ただ、現実的な真実とメタファー的な真実は別々のものとして扱う必要があるのではないかと提案しているのです。多くのセラピストが、意味はシンボルや想像によってしか発見することができないと主張するように、セラピーが神話やメタファーを扱うのならば、それはメタファーを現実の再現としてではなく、シンボリックな表現として扱うのが分別ある態度でしょう。セラピーで過去に遡ることによって意味を探ろうとするのならば、記憶は事実とフィクションがほどけないほど絡み合った創造的メカニズムであると認識、評価されなければいけません。」

精神療法の正しいゴール

過去の辛い体験を思い出し分析するためにセラピーに費やされる時間は、実際にその出来事が起こっていたよりもかなり長い時間がかかることが多い。そのために、セラピーが実際に起きた出来事よりもよりトラウマとなることもあり得る。
精神療法士のジェイムス・ヒルマンは「子供が虐待を受けたりするのはひどいことだけれど、セラピーが虐待をどう扱うかによって、より破壊的な出来事にしてしまうこともある。それがただのダメージを与えた体験だというだけでなく、より大きな精神的衝撃として記憶されてしまうからだ」と言う。
子供時代の受け身で力のない視点をより強化することによって、セラピーは患者を痛々しい過去から自由にするかわりにそこに閉じ込めてしまう。私たちが、改めて精神的な衝撃としてその出来事を思い出す時に、冒涜と侮辱が繰り返し襲ってきて子供時代が抜け出すことのない地獄となってしまう。
私たちは誰でも人生の中で傷つくことがあるので、重要な質問は「その傷をどうするか?」ということである。その記憶をフィクションの形で認識することによって、セラピストは患者に「私の記憶は私の経験をどうすることができるか?」と問うことを促すことができるかもしれない。
「記憶は心に浮かんだ古い映像や考えに新しい詳細を加え、その記憶の質を変容させて再構築する過程である」と精神療法士のマイケル・ヤプコは言う。「クライアントが、こういうことがあって、それで傷ついた、あれは辛かった、と言うのに対してセラピストはそこに新しい視点から、新しいアイディアを加え新しい枠組みをつくって記憶の全体的な概念を変えるのだ。」
精神病医のサミュエル・Guzeはセラピストに、患者の行動の理由を理解しようとするのはやめて、患者が気分がよくなり、無力をあまり感じなくり、もっと現実に効果的に折り合いをつけていけるような、あまり多くを望まない実現可能なゴールを決めたほうがいいと言う。
気分がよくなることがセラピーのゴールということに満足しない人たちもいる。「過去に何があったかではなく、現在なぜ犠牲となっているか、傷ついていると感じるかを知るのが大切だ。過去によってではなく現在の仕事、今の経済状態、この国の政府などが原因かもしれない」と言う人もいる。
ロフタスは、本の最後に、精神療法のゴールとして、患者がセラピストに最終的に求めているのは説明や助言ではなく、その経験に耳をかたむけ、分かち合い認め敬意を払うことだと書いている。

全編を通して、ロフタスは、そのテーマを歴史との関係でみている。
私は何者か?
真実とは何か?
なぜ苦しむのか?
どうしたらいいのか?

このような社会での生活や、国家、人類全体に関する問いに対して、私たちはしばしば歴史に答えを求める。しかし、精神療法を手段として用いるのと同様、歴史を用いることにも危険性がある。個人の過去を不確かな地平に置いてしまう人間の記憶の間違いやすさ、柔軟性は集合的な過去の話の中においてはさらに敷衍され、混合されるからである。
自身を神話化しようとする傾向は、歴史の中でも個人の伝記の中で行われるのと同じ程度には作用する。そして、私たちの歴史や現在の出来事に関する談話は神話の要素でいっぱいである。
もしかしたら20世紀半ばにアメリカ文学で主要であった「失楽園としての幼児期」の神話が後半になってなぜ「地獄の幼児期」の神話にとって替わられたかを熟考することも有益かもしれない。
歴史から意味を抽出するために避けられない神話のパターンの使用は、有益でもあり災難でもある結果をもたらすことになる。
ロフタスの研究は、私たちが善と悪の永遠の闘いの中に身を投じることの危険性を警告し、他の実行可能な選択肢を考慮するよう奨励する。絶対的な真実や正義が人間の心を越えたものであるということを忘れずに、過ちを犯しやすく限界のある心の性質を正しく評価することがより真実に近づくことを可能にするか見守ろう。

訳注

* True Believersは、おそらくM.Lamar Keene著『The Psychic Mafia』(サイキック・マフィア―われわれ霊能者はいかにしてイカサマを行い、大金を稼ぎ、客をレイプしていたか)に出てくるTrue Believer Syndrome(狂信者症候群)からだと思うけれど、訳語が不明。

関連項目

関連書籍

外部リンク

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